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おれとROCKと裕也と。 

ROCKって言葉を覚えるか覚えないかの小学6年生のころ

貧困家庭だったことから新聞配達のバイトを3年生の時からしていた。

その販売店には奨学金目当ての浪人生や大学生、隣町の中学生など

普通では接することの出来ないひとたちの集まりだった。

当然悪いこともたくさん教えてもらうので楽しいこと請け合いである。

麻雀、花札、スナック、バイク・・・そして映画と音楽とギター。まぁ不良の始まりだ。

ラジオを聞くこともその当時教わって深夜ラジオ放送をかじりついて聞いていた。

そんななかで覚えたのがビートルズ。なんて歌ってるかわからないけどイカした歌。

ポップスベスト10なども良く聞いたりして楽しんでいたが、ある日ある時

ラジオから「ブラックドッグ」という、今まで聞いたことのない、激しいリズムの曲を聴く。

身体に雷が落ちたかのような衝撃だった。

レッドツェッペリンというイギリスのバンドでこのようなのを「ハードロック」というのだと。

ビートルズも解散した中学1年のときであった。

~中略~

その後「ライブ」という生で演奏するのを見に行くことを覚えた私は

デヴィットボウイの初来日ライブをはじめとし中学生の分際で小遣い貯めては行きまくっていた。

当時日本のロックは「不良の音楽」とか「騒音」とか言われ世のツマミモノ。

日本人のバンドが演奏できる会場など貸してくれるわけも無く大学の講堂とか

狭くて汚いどこかの寂れた体育館でしか演奏出来なかったのである。

機会があればみなライブしたいからか1会場1ライブに10バンド出演なんてよくあることで

30分交代とかで出てきてはガチャガチャやってまた交代。なんてのが普通だった。

値段は¥800~1000が相場なので貧乏な中高生にはもってこいなのだ。

そういうライブにはその後大御所と呼ばれるひとたちやバンドが多数でていて

クリエイション、金子マリ&バックスバーニー、四人囃子、頭脳警察、めんたんぴん

カルメンマキ&OZ、そしてジョー中山!

そんなメンバーでのライブの最後にはなぜかやせっぽっちの黒装束おっさんが出てきて

マイクに指を2本立てて口を添えロックンロールを唄うのだが、それが内田裕也だった。

彼はフラワートラベリンバンドをプロデュースしてアメリカへ殴りこみにいき、太陽の塔のしたで演奏させ

「SATORI」で若者を熱狂させた立役者であった。そして「本物の不良」に見えた。

ライブに行くと最後に出てきては歌い、出てきては歌う。いつも何かライブに行くといるのだ。

まだまだフォークソングが強かった時代、単身海外へ行き肌でROCKを感じ身につけ

帰国しては若者を炊きつける。そんなことをずっとやっていたので実際なにものなのかは知らなかった(笑)

自分は外国のバンドに夢中であって和製ROCKはあまり聞いていなかったが

演奏力があってオリジナル曲もあって実力のあるバンドが次から次へと世にでてきたころ

裕也は「俳優」になった。しっくり来なかったけどなんか賞とか取っちゃって・・・。

そのうちキキキリンと結婚(ん?ユウキチホだったかな)とかしちゃってますますわからなくなっていった。

自分も大人になっていくにつれ「生活苦」でライブなどいけるはずも無く淡々と暮らしていたが

長年染み付いたROCKがそうそうなくなるはずも無く、いまだに引きずって生きている。

表面上は還暦迎えた落ち着いたオヤジだが、裕也からもらった「不良」はまだ健在だ。

80歳手前で死んだ裕也。。。彼にとってよい人生だったのだろうか?夢見たことが叶ったのか?

わたしとっての裕也は「格好いい不良」でいまの自分の礎の1部であることは間違いない。

内田裕也のスピリットよ永遠なれ。 合掌。